はじめに
「ノムラもニッコウもダイワも son of ◯◯(クソ野郎)だ!」
かつてソロモン・プラザーズの裁定取引部門責任者が私に投げた言葉
もう15年前になるだろうか。私はそれまで勤めていた日本の出版社を辞め、外資系の金融情報専門会社に身を置いた。そしてはじめて、最先端の株式取引を取材する機会を得たのである。
その年は1990年。東京市場が前年に日経平均株価が4万円目前でピークを迎え、下落を開始した時期に当たる。バブル崩壊が始まった年といってもいいだろう。当時の株式市場は一般的には依然として仕手株取引が隆盛を続けていた。出所不明の資金を掻き集めた投資グループが経済合理性を無視して一部の銘柄を買い上げ、知らない間に売り抜けているという「伝説」が多くの個人投資家の心を踊らせていた。株式専門新聞なども必死に「○○グループが狙う銘柄」などと特集記事を掲載し、販売部数を伸ばすことに躍起になっていた。 個人投資家は仕手銘柄の情報収集に努めることが株式市場の「勝ち組」になる近道と信じていたのである。
だが多くの個人投資家が実は成功例の方が少ない旧来の「伝説」に心酔している間に、先端の「テクニック」が東京市場全体の動向を左右する時代が密かに到来していたのである。その「テクニック」こそ裁定取引である。
1990年に私がはじめて東京市場の動向を伝える責任者となった際、まずアポイントメントを取ったのが米系証券会社、ソロモン・ブラザーズ東京支店の株式デリバティブ部門担当責任者だった。当時、ソロモンが裁定取引の解消売りを執拗に誘う動きを続けていることが、東京市場が下落し、個人投資家に損失を与えている大きな要因だ、と大手の日系業者などが吹聴していたからだ。
私は単刀直入に、「こうした声が聞かれるが?」と、ソロモンの担当責任者にぶつけてみた。すると返ってきた答えが冒頭のようなものだったのである。
この時、私はかなりのショックを受けてしまった。むろん野村以下、日本の大手証券会社が、聖人君子や紳士のような会社と思っていた、というわけではない。以前に在籍した日本の出版社での取材経験からも、これら大手証券が海千山千、手練手管を弄する会社であることはわかっていた。
だが当時、メディアの取材を受ける際、日本の金融機関の担当責任者が、競い合う別の会社をこれほど強い調子で非難することはほとんど考えられなかった。せいぜい、「私がいったとは書かないで下さいよ」と前置きした上で、「大和さんはちょっとやり過ぎかな、みんな誰が売っているのか知っているんですけどね」といった調子である。「あの会社はクソだ」と堂々と語ったこの外人トレーダーの言葉は、私にとっては新鮮を通り越して、鉄の固まりを頭に受けたようなにぶい、そして重たい衝撃を与えたのである。
なぜ彼は野村や大和、そして日興は「クソだ」といったのだろうか。実は、日経平均がいよいよピークを迎えようとしていた当時、株価をなんとか釣り上げるために、「裁定買い」を誘う動きがしばしば見られたのである。「裁定取引」とは基本的に、先物と現物の価格差が開いた時に、「先物を売って現物を買う(裁定買いという)」取引を行い、先物と現物の価格差が縮まった時に、「先物を買って現物を売る(裁定解消売りという)」取引を行い、その値幅差を利益として得る取引である。
1980年代後半、日経平均株価が3万円を突破し、いよいよ株価がピークアウト感を強めていた当時、確固とした買い材料がない中、ひたすら先物に買いが入ることにより、先物と現物指数との価格差が大きく広がることが度々あった。すでに大手を中心に、証券業界は次々と「デリバティブ部門」を設けており、「すわチャンス」とばかりにこうした局面でこれら部門が裁定買いに走り、現物指数は上昇続けた。
だが「買ったものは必ず売らなければならない」というのがこの市場の鉄則。ソロモン・ブラザーズは当時の日経平均上昇の「からくり」を完全に掌握し、現物に空売りを仕掛けると同時に先物に大量の売りをぶつけることで現物の裁定解消売りを誘い、結果として巨額の利幅を得ることに成功した。結果として、今日に至る「日経平均崩壊」のきっかけを作った(ちなみにこの成功体験は、ソロモンブラザーズ消滅後も、人材を通じて主に米系証券に受け継がれ、ITバブル崩壊と名付けられた2000年以降の日本株の再暴落を演出することになる)。
「テクニック」に対しては「テクニック」で対抗する。「ソロモンが(下落の)犯人だ」という日系大手の吹聴に対して、「その犯人を作り出したのはあんたたちだよ。作った方がもっと悪人だ」というのが、このトレーダーの「クソ」という意味だったのである。
相手の動きを逆用して大利を得る。
株式市場、特に近代相場はまさに「手段を選ばず」の戦場といっていい。この戦場では圧倒的な火力を持った参加者、最先端の戦術を身に付けた参加者など、強者(つわもの)が虎視眈々と新しい敵が現れるのを待っている。あなたがなんら知恵も備えを持たないまま、この市場に挑むことは、丸腰か、ピストル一丁で、これら参加者と正面から向き合うことに等しい。銃弾を受けることなくいきなり利益を得られたなら、まさに「ビギナーズラック」といっていいだろう。だが「ビギナーズラック」が何度も訪れることは決してない。
最近、「誰でも」「楽々」「毎日が給料日」といったうたい文句で、初心者を株式市場に誘う入門書が氾濫している。だがそれらはいずれも真実を伝えていない。本書はこの市場が「戦場」であることを正直にお伝えし、それでも戦いたい向きに、「生き残りの知恵」を提供することを目的にしている。途中で怖くなったらこの市場には近づかない方がいい。
『テクノディーラー』主幹 川野英彦